備忘録:平成の30年(1989-2018)を「10の変化」で振り返る

来年の4月で平成が終わり、新しい元号の時代が始まる。平成の30年(1989-2018)は、世界史的に見ても、大きな変化が起きた時代であったと思う。いくつかのキーワードと何冊かの本、そして私自身の実体験を手掛かりに、この間に起きた変化をスケッチしておきたい。

1 「歴史の終わり」から「Gゼロ」へ

1989年に「ベルリンの壁」が崩壊し、資本主義陣営が社会主義陣営に勝利したと多くの人が考えた。この頃にベストセラーになったのが、フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』(元となった論文は1989年刊、書籍原著は1992年刊行)。社会主義対資本主義の対立が終わり、「退屈な時代」が訪れるとの主張は、当時それなりの説得力があった。
しかし、2001年の9.11の米国同時多発テロをはじめ、その後の歴史は「退屈」どころではなかった。
イアン・ブレマー『「Gゼロ」後の世界』は、トランプ政権誕生以前の2012年原著刊行である。「G7・G8」でも、新興国を含めた「G20」でもなく、米国一国の「G1」でもなく、「Gゼロ」、つまりグローバル・リーダーシップが失われた時代。
平成の30年は、「資本主義の、社会主義への勝利」のつかのまの熱狂のあと、不確実で不安定な時代へと変わった。戦後世界秩序の盟主であった「アメリカ」が相対化された時代とも言えよう。

2 中国、インドの台頭

中国の名目GDPが日本の名目GDPを追い抜き、世界第2位となったのは2010年である。鄧小平が南巡講和で、外資導入による経済建設を訴えたのが1992年。それから約20年間、平均10%程度(実質GDP成長率)の高成長を続けた結果である。
平成の30年は、中国、そしてインドの台頭が著しかった時代と捉えられる。
それぞれ10億人超を要する大国である点に加え、とりわけ中国は日本の高度成長期のような旺盛な内需が成長を牽引、供給サイドである企業の革新力も著しい。一方、インドでは、同国出身者のグローバルでの活躍が目を引く。Google 現CEOのサンダー・ピチャイ、マイクロソフト現CEOのサティア・ナデラ、ともにインド出身者である。
田中明彦『ポスト・クライシスの時代』(2009年刊)は、アンガス・マディソンの研究を引きながら、インドと中国の世界GDPにおけるシェア(購買力平価ベース)が、2030年にはそれぞれ約23%と約10%、合わせて世界の1/3になる見通しであることを指摘している(日・米・欧の合計も約34%)。つまり、購買力平価ベースではあるが、インド+中国が日・米・欧と経済力において同等となる。
しかし、同書内の同じアンガス・マディソンの調査データによれば、この2030年のインド+中国の比率は、200年前の1820年の比率に戻るにすぎないことがわかる。
詳細は割愛するが、長期の視点で捉えれば、大国インド・中国は、Western countriesが台頭する前の、もとの地位に戻るだけなのである。

3 インターネットの時代

「Bible」(聖書)と同様、大文字ではじまる「Internet」。世界をつなぐ、「ひとつの」インターネット。
私自身がインターネットを使い始めたのは1994年頃だが、2001年頃にGoogleの検索エンジンに出会うまでは、ウェブ検索しても信頼するに足る情報にはなかなか到達できなかった。そもそもそれ以前、「検索する」というのは、図書館のリファレンスブックで情報を調べたり、書籍の索引を調べたりすることを意味していた。隔世の感がある。
阿部謹也「世界に開かれた図書館」(『「世間」への旅』収録)では、阿部氏が1969年にボン大学の図書館を初めて利用した時に、利用規定に「本学の図書館は世界の大学の教員と学生が利用できる」とあるのに驚いた、というエピソードを紹介している。当時(というより比較的最近まで)、日本の大学の図書館の利用は、その大学の教員・学生に限られていたからである。阿部氏は同エッセイで、「(ドイツ語で学問を意味する)ヴィッセンシャフトという言葉は、知識ヴィッセンという言葉に集合名詞を示すシャフトがついて諸学問の体系を意味している。(中略)最終的にはキリスト教の神に連なる世界の理性的秩序の解明こそがヴィッセンシャフトの使命であり、そのために献身する人は誰であれ、皆修道士のように学者仲間として位置付けられている」と述べている。
ヨーロッパの大学図書館、修道院の図書館は、「知の共同体」のための“開かれた”インフラだったのだろう。ただ実際は、キリスト教世界の中だけ、そして近代になるまでは、ラテン語を解する人のための共同インフラだったのであろう。
インターネットは全ての人に開かれたインフラである。その意味で「知の民主化」を成し遂げたと言える。梅田望夫が説いた通りである(『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』)。
SNSの登場以降は、パブリック・スピーキングと、SNSの私的なつぶやきが、ないまぜになっている感はある(米国大統領のつぶやきが、公的なものか、私的なものなのか、判断が難しい)。しかし、そうした弊害はあるにせよ、知の民主化をもたらしたインターネットのインパクトは、やはり計り知れない。

4 「フラット化する世界」、後手必勝

トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』 (2005年)では、インドのバンガロールにある、米国企業のアウトソーシング先であるコールセンターの様子を、「フラット化」の象徴的な風景として描き出す。フラット化の原動力も、もちろんインターネットである。
しかし、世界はフラット化(平準化)するだけではない。
携帯電話、スマートフォンの出現以来、固定電話のインフラがない途上国では、無線基地局が先にできて、携帯(スマホ)のほうが先に普及するといった現象が指摘されてきた。
これは携帯インフラにとどまらない。リープフロッグ(カエル跳び)現象などと呼ばれる。「リープフロッグ型発展:既存の社会インフラが整備されていない新興国において、新しいサービス等が先進国が歩んできた技術進展を飛び越えて一気に広まること。リープフロッグ現象ともいう」(ウィキペディア)。
20数年前(1990年代の半ば)、片倉もと子氏から、「後手必勝」という言葉を伺った。片倉氏は、このことを月尾嘉男氏から教わったという。携帯電話などは後から買えば買うほど、性能がよいものが手に入る、つまり後手必勝、というのだ。当時は「ふーん」と聞き流していたが、気がつけばこの四半世紀の間に、デバイスでも企業間競争でも「後手必勝」、リープフロッグ現象が当たり前のものとなった。

5 「自動車の時代」の終わり

自動車産業の未来を示すキーワードとして、CASEという言葉が最近はやっている。Connected(つながる)、Autonomous(自律走行)、Shared(共有)、Electric(電動)の略だ。これは100年に一度の変化だなどと言われる。自動車の出現が19世紀末〜20世紀はじめ、フォードのT型モデル発売が1908年。
よく知られる通り、T型モデルはオートメーションを取り入れて生産コストを下げ、爆発的にヒットするとともに、T型モデルの工場の労働者の賃金アップにより、労働車がT型モデル車を買えるようになった。
「労働者」が「消費者」となり、その購買力が経済成長を生む。日本でも、「いつかはクラウン」というキャッチ・コピーに見られるように、より大きな車に乗り換える、より大きな家に住む、という欲望が、高度成長とその後のバブル期までの経済成長を支えた。
しかしそれが、1990年代初のバブル崩壊以後、世界的には2008年のリーマン・ショックを経て大きく変わる。高度成長を牽引した欲望の消滅である(次項参照)。
かくして、「自動車」が象徴した20世紀的価値観は、平成とともに終わろうとしている。

6 バブル崩壊、リーマン・ショック、「スペンド・シフト」

上で書いたように、日本ではバブル崩壊、デフレ、平成不況、そして3.11の震災を経て、人々の消費行動や消費意識が大きく変わったと感じる。端的に言えば、モノへの欲望の消滅(あるいは衰退)である。アメリカなどでも、リーマン・ショック後、その傾向が顕著になったとされる。
辰巳渚『捨てる!「技術」』が出たのは2000年。この本自体もベストセラーになったが、その辰巳氏を師と仰ぐ近藤麻理恵氏の『人生がときめく片付けの魔法』が2010年に出ると、瞬く間にミリオンセラーになった。翻訳されると、アメリカをはじめ世界各国でベストセラーに。世界規模の社会現象になったのである。
90年代以降の消費を表すキーワードは、「シェア」および「持たない」。つまり、所有しない、モノを持たないことが価値となった。それまでの価値観の、180度の転換である。
ジョン・ガーズマ『スペンド・シフト』は、リーマン・ショック後、アメリカ人が家を購入する際に、以前より大きな家をほしがらなくなったことを紹介している(「一般住宅の平均面積は、50年にわたってひたすら拡大を続けた後」、「2009年は2010年より10%も狭くなっている」)。最近のスモールハウス流行りもそうした傾向を示す証左と言える。

7 女性活躍

女性活躍推進法が2015年8月に成立した(施行は2016年)。1985年成立(施行は86年)の男女雇用機会均等法から約30年。女性活躍推進法の背景には、人手不足下、女性の労働力化を促したいという意向が見え隠れするが、女性の活躍推進が事業主に義務付けられたことは一歩前進と受け止めたい。
男女雇用機会均等法からの30年、とくに「総合職」と呼ばれた一人一人の女性たちの職場での努力や葛藤については、とてもここでは語りつくせないし要約もできない。100人いれば100人のストーリーがある。ただ、少なくとも、後の世の人たちから「あの時代の女性たちの努力や葛藤があったからこそ、新しい時代が開かれた」とは、思ってもらえるのではないかと思う。

8 少子高齢化 、人口減少

数年前、日本国内の紙おむつの販売において「大人用おむつ」が「赤ちゃん用おむつ」を抜いた、というグラフを新聞で目にした。そのとき、「高齢化社会というのは、大人用おむつの量が赤ちゃん用おむつの量を超える世界なんだな」と、妙に納得したのを覚えている。
「少子化」という言葉が初めて使われたのは、平成4年(1992)版「国民生活白書」の中とされる。当時、会社の上司が、「しょうし、だって。“しょうこ”さんじゃないし、へんな言葉だね」と言っていた記憶がある。今やすっかり一般名詞化しているが、当時は耳慣れない響きだったのだ。
合計特殊出生率の「1.57ショック」が1989年(平成元年)。その後も、「ナントカ・ショック」がなんども繰り返されている。
2018年の人口動態推計の年間推計(厚生労働省発表)によれば、出生数が死亡数を下回る「自然減」が44万8000人。アイスランドの人口が約34万人(2017年)だから、1年間にアイスランド1国以上の人が日本から消えていることになる。

9 「適齢期」の消滅

高齢化社会は、ポジティブに言うと、長寿社会ということになる。長寿社会化に伴って、「結婚適齢期」「出産適齢期」といったものは消滅したように思う。
人々の考え方の多様化を科学の進歩が後押しして、「適齢期」というワクがなくなっていることは喜ばしい。
転職に関しても、2000年頃までは「転職するなら30歳くらいまで」などと言われていた。今は多くの人が、40代でも50代でも軽々と転職していく。
リンダ・グラッドンとアンドリュー・スコットが『ライフ・シフト』で明らかにしたように、“人生100年時代”は、「教育→仕事→引退」という3ステージから、転職や学びを人生の折々でくりかえし、一社専属でない生き方が当たり前になっていく(そうでないと100年はもたない)。
一方で、多様な選択肢は「迷い」も生んでいる。私も含め、同世代(アラフィフ)の少なくない人たちが、今後の生き方について迷っているように思う。「不惑」年齢も40歳どころか60歳くらい(?)へ後ろ倒しになっているのか。あるいは平成後のこれからの時代、私たちはいくつになっても惑い続けるのかもしれない。

10 日本語の文章からの「句読点」の消滅

出版文化史の専門家、永嶺重敏氏によれば、明治20年代(明治20年=1887年だから、今から約130年前頃)に木版本に替わって活版本が普及するにつれて、「句読点」が一般化してきたと見られる(永嶺重敏『雑誌と読者の近代』)。もともと中国から漢文を輸入し、また独特の漢字・かなまじりの仮名書きスタイルをつくりだした日本では、それまで「、」「。」はなくても、読むのに困らなかったのである。
さて、明治以降、100年以上の間、私たち日本人は、「、」「。」に馴染んできたわけだが、最近になって、LINEや Messenger、ショートメッセージなどの普及とともに「、」「。」が消滅してきている。LINEが登場して以来とすれば、2011年以降ということになる。
今は、通常のemailで「、」「。」がない文章を受け取っても、あまり驚かなくなった。ワードファイルで作成したビジネス文書で、ページの端まで行って折り返すのでなく、通常「、」があるべきところで、どんどん折り返しているものを見たこともある。
いわば、平成「散らし書き」ともいうべき、独特の文体。インターネットは、書き言葉としての日本語の変容をも、もたらしているのである。