プラハ・キューバ・ベトナム・広島〜オバマの和解の旅

オバマ大統領の広島訪問については、すでにあらゆるメディアがとりあげ、多くの方がfacebookなどで言及している。屋上屋を架すことになるが、以前にオバマ大統領が2009年4月にプラハで行った「核兵器なき世界」演説について触れたことがあるので(オバマinプラハ)、今回の広島訪問に関連して、三つの視点から触れておきたい。ひとつは、「理想主義と現実主義」について、二つ目は、「和解の旅」という視点から。最後は、「大きな物語と小さな物語」について。

1 理想主義と現実主義

プラハでの「核なき世界」演説について、かつて上記ブログで私はこう書いた。

スピーチの全体をふりかえると、「核兵器の廃絶」というビジョン(理想)を示しつつも、「私の生きている間には、実現は難しい」と現実主義が顔をのぞかせる。そして、まず何から着手するのかを、「4年以内」「来年」といった具体的な日程とともに示す。これは、政治家として、絶妙な「理想主義」と「現実主義」の案配加減と思える。

今回の広島訪問でも、オバマの理想主義と現実主義の絶妙なバランスは健在だった。

「…我が米国をはじめとする核保有国は、恐怖の理論からのがれ核兵器のない世界を目指す勇気を持たなければならない。私の生きているうちには、この目標を達成することができないかもしれない。しかしたゆまぬ努力により惨劇の可能性を後退させることはできる。」

(広島演説より。翻訳は、日本経済新聞5月28日朝刊より。以下同じ。英語全文は、たとえばホワイトハウスのサイトなど。)

言葉でこのように、核兵器廃絶が一筋縄でいかないことにも触れているのみならず、「現実主義」の側面として、広島訪問前に、岩国の米軍海兵隊基地に寄って、海兵隊員と自衛隊員を前にスピーチをおこなっている。オバマの2009年の「核なき世界」演説をナイーブととらえる向きもあったが、けっしてナイーブではなく、「現実主義」の錘のもと、就任初期から今日まで、絶妙のバランスをとりつづけている。

2 和解の旅〜プラハ・キューバ・ベトナム

前述の2009年4月の「核なき世界」演説の舞台として、オバマは東西冷戦とその終焉を象徴する、プラハの地を選んだ。プラハ(チェコ)は、ヨーロッパにおける冷戦の最前線の一つだった。

一方、米国の喉もとにつきつけられた共産主義国として、中米・キューバの存在があった。2015年7月に、そのキューバと米国は、54年ぶりに国交を回復した。アルゼンチン出身のフランシスコ・ローマ法王が仲介したとされるが、オバマ政権の大きな功績であることは間違いない。

今回、オバマはG7サミットで日本にくる前にベトナムを訪問し、ここでもベトナム戦争を振り返った印象的なスピーチをおこなっている。

And I believe our experience holds lessons for the world. At a time when many conflicts seem intractable, seem as if they will never end, we have shown that hearts can change and that a different future is possible when we refuse to be prisoners of the past. We've shown how peace can be better than war. We've shown that progress and human dignity is best advanced by cooperation and not conflict. That’s what Vietnam and America can show the world.

(われわれ両国の経験は、世界に先例(教訓)を与えると信じる。すなわち、我々両国が示したのは、対立が解決不可能で永遠に続くように思えるときでも、過去に捕われることさえなければ、人の心を変えることができ、違う未来が実現可能になる、ということ。そして、平和が戦争よりいかに善きものであるか、ということ。進歩と人間の尊厳は、対立によってではなく、協力によって達成されるものであること。それが、ベトナムと米国が世界に示すことができるものである。)〔拙訳〕

この演説を行ったのはハノイにおいてだが、オバマはホーチミン(旧サイゴン)にも足を運んだ。そして、ベトナムのあとに訪れたのが日本の広島。太平洋戦争を戦った日本とアメリカの和解の地として、広島以上の舞台はない。

3 大きな物語と小さな物語

広島演説のなかに、このような部分がある。

「私の国の物語は、シンプルな言葉で始まる。『すべての人は平等で、神によって生命や自由に加え、幸福を追求する譲歩不可能な権利を与えられている』」(中略)
「我々全員は、すべての人間が持つ豊かな価値やあらゆる生命が貴重であるという主張、我々が人類という一つの家族の一員だという、極端だが必要な観念を語っていかなければならない。我々は、その物語を語るために、広島に来る。そして愛する人のことを考える.朝起きてすぐの子どもたちの笑顔、夫や妻とのテーブル越しの温かなふれあい、そして、親からの温かな抱擁。こうしたことに思いをはせ、そして、そんな素晴らしい瞬間が、71年前のこの広島にもあったことを知る。亡くなった人は、我々となんら変わらない人たちだった。」

前半は、抽象的な「大きな物語」、後半は、日常生活の中にある、具体的で確かな手触りをもつ「小さな物語」だ(このような、「小さな物語」を演説の中にかならずといっていいほど埋め込むのが、オバマのスタイルだ)。

太平洋戦争も、冷戦も、ベトナム戦争も、大義のもとに戦われた戦争だった。20世紀の戦争は、ある意味、わかりやすい大義のもとに戦われる、国と国との戦争だった。他方、21世紀の戦争は、テロとの戦いが象徴するように、日常と切れ目なくつながった、見えない敵を相手とする戦争だといえる。そして、その根っこには、貧困や抑圧といった、「構造的暴力」があるという見方ができる(ヨハン・ガルトゥング、高柳先男らの書籍に詳しい)。

これら見えない敵との戦いに、一朝一夕の解決策がないことは言うまでもない。しかし、「小さな物語」、「普通の人の日常」への想像力を失わずに、為政者が低き声にて語り続けることが、少なくとも、ひとつの希望にはなる。だからこそ、為政者には想像力と「言葉の力」が大事なのである。