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「リーディング産業」があるのがよいのか?

1990年代の半ば頃、日本の次のリーディング産業は何か、といったテーマの書籍のプロジェクトに関わったことがある。たしか、その書籍では、はっきり●●産業、といった明確な結論にはならず、複数の産業分野を取り上げていた、というおぼろげな記憶がある。
当時、「繊維」「自動車」「エレクトロニクス」につづく、日本の外貨稼ぎ頭、すなわち“リーディング産業”の次は何か、ということがメディアで議論されていた。

その後もときどき、今の、”リーディング産業”は何か、ということを考えるが、ある時期から、”日本の”という冠をかぶせることに、あまり意味がない気がしている。つまり、製造業の現地生産化はとうに進んでいるし、かつてのリーディング産業のように、欧米諸国と比べて相対的に安い日本の製造コスト、ということが成り立たなくなって久しい。したがって、日本のある産業まるごとに国際競争力がある、ということは考えにくい。
加えて、現在の、”世界の”リーディング産業は、IoTとして今また新たな様相を見せ始めているICTが象徴的なように、産業の特質そのものとして、国境を超える性質がある。

リーディング産業があることが、はたしてよいのか? 
私はそうは思わない。リーマンショックのときに、もし日本のリーディング産業が金融だったとしたら……。アイスランドと同様のことになっていただろう。(一時期、それこそ、バブル崩壊前は、金融業はいけいけドンドンであったので、もしバブルが崩壊していなければ、2000年代の日本のリーディング産業が金融業、というシナリオもありえたのではないか。)

個々の企業が、それぞれ「強み」をいかし、自社の資源を傾斜配分していくことは、企業の戦略としておそらく正しい(専門家でないので、「おそらく」としかいえないが)。ただ、日本の経済社会という全体でみたときには、”リーディング産業”がなく、多様なほうが強いのではないか。ある意味、インターネットのようにどこかのルートがダメになっても、全体としては機能しているしくみ。それさえあれば、ひとつの企業、ひとつの産業がダメになっても、ほかの企業やほかの産業にうつることができる。

リーディング産業がなくてよい(ないほうがかえってよい)、という前提に立つと、それこそ、現在の日本は、企業も産業も多様化し、個人の働き方も多様化・多彩化していて、まさに、理想的な状態なのではないか?(個人の働き方は、正社員、契約社員、在宅勤務、ダブルワーク、フリーランス、個人事業主、クラウドワーカーなど。)
そう考えると、悲観論の先の新しい地平が見えてくる。楽観的すぎるだろうか?