ヴェネツィアに見るInnovator's Dilemma

ちょうど約1年前、昨年の12月中旬にイタリアのローマ、フィレンツェヴェネツィアをめぐる旅をした。
いろいろ感ずるところの多い旅だったが、とくに強い衝撃を受けたのは、ヨーロッパ(イタリア)におけるキリスト教の呪縛についてと、もうひとつは、ヴェネツィアの過去と現在の対照的な姿についてだった。その意味を確認したいという思いで帰国後に手に取ったのは、故・高坂正堯氏の『文明が衰亡するとき』(新潮社刊)である。この中の第二部がヴェネツィアの章となっている(「通商国家ヴェネツィアの栄光と挫折」)。
高坂氏は、ヴェネツィア衰亡の原因を、以下のように分析している。

一般に、ある技術に秀れていて、それによって成功しているものは、新技術の導入をためらう傾向がある。ヴェネツィアの場合にも、その傾向がガレー軍艦への固執となって現れたのであった。(P.138)

ヴェネツィアガレー船の技術にすぐれていたため、帆船の時代になっても、帆船という新技術を導入せず、ガレー船に固執し続けたのである。これはまさに、クレイトン・クリステンセンのいうInnovator's Dilemmaそのもの(『イノベーションのジレンマ』、翔泳社刊)。ちなみに高坂氏のこの書の刊行は1981年。クリステンセンの書の原著刊行(1997年)の16年も前のことである。
また、高坂氏は次のような分析も行っている。

イギリスが上質の毛織物市場に進出し、ヴェネツィアの商品を脅かし始めたとき、ヴェネツィアの外交官や商人たちは、イギリスの毛織物は質は劣るが価格が低いので売れると報告しているのである。同じような言葉を、われわれは十年ほど前に、アメリカでもヨーロッパでもよく聞かされた。自動車にしても、電気製品にしても日本製のものは質的には劣るが、ともかく安いから売れる、という批評である。しかし、この言葉自身に敗北の重要な原因が現れている。すなわち、傲慢さである。(p.144)

ここでいう「十年ほど前」というのは、この書を書いた十年前ということだから1970年頃のこと。1960年代後半から日本が「洪水のように」繊維製品を輸出して、日米貿易摩擦が激しくなっていた時期である(繊維のあと、鉄鋼、自動車、エレクトロニクスと、貿易摩擦は1985年のプラザ合意の頃まで続く)。今読むと、隔世の感があるけれども、当時は、アメリカやヨーロッパ諸国が、日本に対して脅威を感じ、日本製品は「質的には劣るが、ともかく安いから売れる」と批評していたのである。
それから四半世紀がたって、日本で今よく目にするのは、韓国製品や中国製品に対する、「質的には劣るが、ともかく安いから売れる、という批評」である。ここに、高坂氏が指摘するように、「傲慢さ」が隠れているのではないか。
引用したのは2か所だけだが、この章全体を読むと、衰退期(15世紀末〜17世紀前半)のヴェネツィアは、今の日本そっくりである。クリステンセンのいうInnovator's Dilemmaが一企業にとどまっているうちはまだいい。でも、それが日本全体を覆っているとしたら……。そんな怖い予測をせずにはいられない。

文明が衰亡するとき (新潮選書)

文明が衰亡するとき (新潮選書)