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なぜ自分の誤植はなかなか見つからないのか

 今度、校正をテーマとしたセミナーをすることになったので、このところ、書籍編集者時代の校正にまつわる諸々を思い出しています。せっかく思い出したので、このブログに、何回かに分けて書いておきたいと思います。
 私が新聞社に就職し、出版部門に配属になったのは、今をさること約21年前。私の編集者生活は、「誤植」にまつわる鮮烈な体験からスタートしました。当時の職場では、朝一番で、その日に出来上がった本の「見本」が、製本所から届けられ、各部の管理職の机の上に配られることになっていました。「見本」というのは、正式の「配本」前に、取次(本の卸)用や著者用などに、限られた数を製作するものです。
 入社して間もない頃の、ある「見本日」のこと。管理職の机の上にある、『○○資金の○○』というタイトルの一冊の見本を目にすると、「資」の字に何か違和感を感じました。違和感の正体を突き止めようと、近づいてよく見てみると、「貝」の「目」の部分に、一本線が多いのです! えっ、そんな字あり得ない、と思ったのですが、錯覚ではなく、「口」の中に線が3本ありました。
 「これは、言った方がいいのか、言わざるべきか」と悩んだ末、その本の担当者でなく、別の人に、「あの〜、これ、1本多く見えるんですけど……」と伝えたところ、ちょっとした騒ぎになり……。その後の展開はよく覚えていないのですが、たぶん配本時にカバー・表紙を作り直すということになったのだと思います。
 あとで聞いたところ、カバーや表紙のデザインを担当したデザイナーさん(装丁家)が、「資金」という字については、ありものの活字を使うのでなく、作字したため、その際のうっかりミスで、棒が一本多く入ってしまったそうです。
 上記、「鬼の首をとったように」、エラそうに書きましたが、私自身も、「ヒヤ」っとするような誤植を何度も経験しています。自分が担当した本の、できたての見本を手にとったら、「はじめに」の2ページ目くらいに、明らかな誤植が発見されて、目が点になった、なんてこともあります。
 どういうわけか、他人の本や文章の誤植はすぐに見つかるのに、自分の編集している本や自分の書いた文章の誤植は見つかりにくいものです。何度も見ているうちに、眼が慣れてしまって、見過ごす確率が高くなるということではないかと思います。あとは、言葉の使い方の勘違いなどもあります。
 プロの校正士に依頼できるような、まとまった量の文章ならいいのですが、ちょっとした文章のときは、私自身は、以下のような方法で、誤植や間違いを避けるようにしています。

  • 「文章を読む」のでなく、一回、文字に集中して「一文字一文字眺める」ような読み方をする。(普通に「読む」ときは、頭の中で編集しながら読んでいるので、知らず知らずのうちに、誤字や誤表記を正しながら読んでしまうことが多い。)
  • 「音読」する。黙読だと飛ばし読みしてしまうが、音読だと飛ばすことがないので。
  • 周りに頼める人がいたら、一度その人の目で見てもらう。
  • 自分の性格を「性善説」から「性悪説」に一時的に変える。つまり、「必ず間違いはあるはずだ」という目、犯人を探す探偵のような目で見る。「必ずあるはずだ」という目で探すと、必ず見つかります(笑)。

 性格の良い方は、とくに、4番目のようなやり方で、文章を眺めてみてはいかがでしょうか。