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Power派? Love派?

言葉 聴く

 先週月曜日(12日)に、紛争解決ファシリテーターとして世界的に著名なアダム・カヘン氏のシンポジウムに行ってきた。カヘン氏の著書『未来を変えるためにほんとうに必要なこと』(英治出版刊、原題:Power and Love)の日本での刊行記念を兼ねての会だった。
 個人が、組織が、社会が自らを変えるためには「Power と Love」の両方が必要、というのがその主旨なのだが、それぞれの定義は、一般的なものと少し異なる。すなわち、「力(パワー)とは『生けるものすべてが、次第に広く、自己を実現しようとする衝動』である。言い換えれば、力とは、自分の目的を達成しようとする衝動、仕事をやり遂げようとする衝動、成長しようとする衝動である」「愛とは『切り離されているものを統一しようとする衝動』である。言い換えれば、愛とは、ばらばらになってしまったもの、あるいはそう見えるもの再び結びつけ、完全なものにしようとする衝動ということになる」(同書26頁)。
 このままだと、Powerも Loveも良いことづくめのように見えるが、やっかいなのは、どちらも二面性(カヘン氏の言葉では、「生成的」な側面と、「退行的」な側面)をもつ。すなわち、Powerの生成的な側面である自己実現欲求、目的達成欲求は、当事者の側から見れば必要なものということになる。しかし、他者にとっては、それが時として抑圧として働く(「退行的」な側面)。Loveの「生成的」な側面としては、たとえば他者のためにつくしたいという欲求があるが、それは時として、自らの自己実現を押し殺してしまう(「退行的」な側面)。
 さて、大概の人は、PowerとLoveのどちらか一方が得意であるか、あるいは、どちらか一方をより好んでいるという(私自身は、当ブログのタイトルが示すように、PowerのほうがLoveより、はるかに親近感がある)。カヘン氏自身は、欧米社会の男性、ということから、知らず知らずのうちにPowerが大事ということをインプットされてされて育ち、あるときに、紛争解決には「Love」が重要ということに気づき、いったんは、Love派になる。ところが、紛争解決の場数を踏むうちに、「Loveだけでは物事は解決しない」ということに改めて気づく。そこで、同書で引用されているキング牧師の言葉通り、「愛なき力は無謀で乱用をきたすものであり、力なき愛は感傷的で実行力に乏しい」、両方が同じくらい必要という哲学が導き出される。
 重要なのは、どちらか弱い方を実践によって伸ばすことができる、という点である。カヘン氏は「歩く」という比喩を使って、このことを説明する。まずは、右足、左足で交互に歩くときのように、自身の行動について、「今はPowerが勝っている」「今はLoveがちょっと出てきた」と意識して、弱い方を強い方と同じくらいに引っ張り上げていくこと。右・左同時には難しくても、一歩一歩を意識しながら前に出すことはできる。大事なのは、バランスをとることと共に、前に進むこと。
 私自身にとっては「Love」をどうやって伸ばしていくかが課題になるが、カヘン氏の話を聴き、同書を読んで救いとなったのは、以下の言葉である。

ビル(・オブライエン、カヘン氏のメンター)の経営哲学には実際的な愛の実践も含まれていた。彼の言葉から引用してみよう。「私たち西洋の世界では、『愛』という言葉が言外に意味するものは、普通はビジネスに関係ないとされているもの――たとえば、ロマンス、あるいは家族や親しい友人どうしの特別な感情――と深く結びついている。だが、私が述べているのはこの種の関係のことではない。私が『愛』と呼んでいるのは、他者が完全になるのを、すなわち潜在能力を最大限に発揮するのを手助けする性質のことである。(後略)」(同書67〜68頁)

この「愛」なら、とてもなじみがあり、この性質なら伸ばすことができると思えるのである。

未来を変えるためにほんとうに必要なこと――最善の道を見出す技術

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