15年前と現在と15年後

 15年ほど前に、「テレワーク研究会」という研究会の、ユーレイ会員だったことがある。ユーレイ会員という意味は、会合に2回くらいしか参加せずに、あとはニュースレターを送ってもらうだけだったので(所属した期間もたしか2年くらい)。当時「テレワーク」「テレコミューティング」が注目されたきっかけは、ロサンゼルスの地震(1994年)で、道路が寸断されて通勤困難になっても仕事ができるように、ということだったと記憶している(米国は自動車通勤者が多いので)。日本でも「テレワーク」の可能性が議論されたが、当時は日本の通信費が高かったので、「通信費を考えると、日本では難しい」という論調だったことを、おぼろげながら覚えている。なにしろ、当時はブロードバンドも光回線もない、ネットつなぎっぱなしなど考えられない、ダイアルアップの時代である。
 その後、通信費は格段に安くなり、「つなぎっぱなし」が当たり前になり、最近では、「自宅でもオフィスにいるときと同じ環境」どころか、『仕事するのにオフィスはいらない』(佐々木俊尚著、光文社新書)で書かれているように、ノマド(遊牧民)ワーカーも出現している。
 ただ、企業に勤めながらの「在宅勤務」は、15年経っても、それほど増えていないのではないか。これは、技術の(機器の)進歩速度にくらべて、人間の意識の進歩(変化)のほうがずっと遅いことを意味している。会社勤めをしていた頃に、在宅勤務を認めてもらえないか打診したことがあったが、「社内に在宅では仕事ができない職種の人もいるので、公平のために在宅勤務は認められない」というのが、会社の見解だった。こうした考え方の会社は、意外に多いのではないかと思う。
 その後独立をして、現在はSOHOスタイルで仕事をしているので、非常に快適な生活を送ることができている(ホームオフィスというのは、最近の現象のように見えるけれど、実は、ホワイトハウスが世界最大の?ホームオフィスであることからわかるように、けっして最近できたものではない。人類の歴史をみれば、むしろ「職」と「住」が離れている時代のほうが遙かに短い)。
今後、事業が発展したら、どこかに瀟洒なオフィスを借りて・・・などと夢想することもあるが、自宅の一角に快適な仕事空間をつくってしまったので、なかなかそこから離れるのが難しいのでは、とも思う。快適さの理由のひとつは、書棚と仕事机が近い、ということである(「あの本」と思ったときに、すぐに取ることができる。通勤していたころは、「あの本は会社に置いていたっけ?自宅だったっけ? あっ、自宅だ。明日あの重たい本を運ばないと・・・」というようなことがしばしばあった)。
 でも将来、たとえばiPadキンドルに自分の所有する日本語の本をすべて格納できるようになれば、この快適さをどこにいても維持できることになる。そのような、どこにいても快適に仕事ができる状態が、15年も経たないうちに実現することを、願わずにはいられない。

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)