エンジニアよ、語れ!

お正月にこの本『「理工系離れ」が経済力を奪う』(今野浩著、日経プレミアシリーズ)を読んで以来、あまりの名著なので当ブログで取り上げたいと思いつつ、下手な書評でせっかくの著者の名文を汚してはいけない、さてどうしようと思っているうちに、半月がすぎてしまった。とにかく通り過ぎるわけにはいかない面白い本なので、なんとか紹介を試みてみたい。


本書によれば、かつては「数学ができないから文系へ」だったのが、いつのまにか「英語ができないから理工系へ」という時代に変わり、理工系への憧れは失われつつある。でも、理工系の地位低下も無理はない。大学時代には文系学生よりはるかに勤勉に勉強・研究していた理工系出身者たちが製造業に就職して、「製造業大国」を築きあげるのに貢献したのに、「製造業が生み出した巨大な富は、技術者ではなく、銀行や不動産関係者に流れた」(本書p86、もとは西村肇氏の言葉)。あげくのはてに、大企業をリストラされ、中小企業に行って苦労しているエンジニアの姿をみて、その子供世代が「理工系は割に合わない」と考えるようになったとしても不思議はない。


本書はこのように「理工系離れ」を憂える書なのだが、大きくわけると三つ読みどころがある。
一つは、エンジニアとエコノミストの生態比較である(実は私はこの部分を読みながら爆笑してしまった)。ちなみに、本書の著者は東大工学部卒で、東工大教授などを経て、現・中央大理工学部教授。オペレーションズ・リサーチ(OR)が専門で、経済学と重なる分野が多い学問であるゆえに、エコノミストの生態観察の機会にめぐまれた。著者によれば、以下のごとく、エコノミストは怠け者で意地悪で、エンジニアは勤勉で純粋な人種ということになる。

夜九時少し前に(中略)弥生門の先に広がる(東大)工学部の建物群には、いつもあかあかと電気が灯っているのに、赤門脇の経済学部棟は真っ暗だった。東大工学部に務める友人によれば、九時はもとより六時でも、電気が点いている部屋は少ないという。(p12)

工学部に進学した学生に対する工学部長の訓辞はただ一言、「時間に遅れるな」だった。卒業のときの学科主任の訓辞も、これまた「納期を守れ」の一言だった。これらの教えが身についている工学部教授は、会議の開始時間を厳守する。(中略)一方、経済学部はどうか。かつて一橋大学経済学部に勤めていた工学部出身のN教授によれば、時間通りに会議が始まることはまずないという。定足数が充たされるのは、早くても十五分遅れが常態である。(p54〜55)

大学院に入った私は、「統計学輪講」という科目を履修した。(中略)ここで私は工学部のカルチャーと経済学のカルチャーの違いをたっぷり教えて頂いたのである。(中略)経済学者は自分がよく読みこんだ論文を学生に発表させ、理解不十分と思われる部分があると質問を浴びせてくる。うまく答えられて当たり前、答えられないときには厳しい叱責が待っている。(中略)一方、工学部の教授はどうかと言えば、まだ自分が読んでいない面白そうな論文を学生に与え、うまく発表すると、「そうか、わかった。これで一つ賢くなった、ありがとう」とお礼を言ってくれる。質問にうまく答えられないときは、別の工学部教授が、「それはこういうことでしょう」と助け船を出してくれる。(p59〜60)

たしかに、周囲の工学部出身者を思い浮かべると、この観察結果には非常に説得力がある。
(なお、文系の研究者および理工系の研究者と接した私自身の経験から、経済学者を少しだけ弁護すると、「納期を守る」ということに関しては、理工系の研究者がピカ一であるが、実は人文系・社会科学系の中で比較すると、経済学者・経営学者の方々はまだ厳密なほうなのである。)


読みどころのその二は、金融工学に関する部分である。『金融工学の挑戦』『金融工学20年』という著書があり、この分野でも専門家である著者の主張は、下記に集約されている。

金融ビジネスが必要としているのは、金融「経済学」ではなく金融「技術」である。それは自動車会社において物理学者ではなく、機械工学の専門家が必要とされるのと同じことである。そして金融技術の研究・教育ができるのは、経済学部(エコノミスト)ではなく工学部(エンジニア)なのである(p143)。

本書を読むと、歴史に「if」は禁物であるけれど、もしも「金融工学」の世界でエコノミスト・経済学部が幅を利かせずに、エンジニア・工学部が力を発揮していれば、リーマン・ショックのようなことは起こらなかったのではないか、と思えてくる。


読みどころのその三は、大学独立法人化に、なぜ理系出身学長たちは抵抗しなかったか、という謎解きである。独法化のような、大学の未来にかかわる大事な案件がどうして短期間で決まったか、ということについて、以下のような分析をしている。

  • 「大学レジャーランド化」は、理工系にはあてはまらないことを、こうした学部出身の学長たちは知っていたが、「他の分野の専門家の仕事には、軽々しく口出ししないこと」という「エンジニア倫理」が骨の髄までしみこんでいて、権謀術数になれていない理工系学長達は、あまり大きな声で異を唱えなかった。
  • そうした中で、異を唱えた数少ない例外である、当時の東工大学長木村孟氏の発言はどういう目にあったか。

かつて国大協のスポークスマンを務めた、東工大学長木村孟氏は嘆いていた。「国大協の記者会見が終わったあと、記者諸氏に残ってもらって、理工系大学は(文系大学と違って)国際競争の中で互角に戦っている。そのあたりも記事に取り上げてもらえないかと頼んでみたが、記者諸氏は『それはわかっていますが、そんな記事は書いてもボツになります』と言って取りあってくれなかった」。(P.175)

その結果、「二〇〇四年にスタートして以来、国立大学法人は国からの予算を毎年一%ずつ減額されている。十年で一〇%カットという荒療治である。」(p175)


本書を読んで、エンジニアの方々に私が伝えたくなったのは、「どうぞ、遠慮せずに思う存分語ってください」ということ。文系出身者は(少なくとも文系出身の私は)、理工系出身者の言葉をもっと聴きたい、もっと理解したいと思っている。そして理工系出身者が文系出身者の三倍くらい語るようになって初めて、文系出身者が大半を占めるマスメディアが、文・理の発言を平等に取り扱ってくれるようになるのではないかと思う。

「理工系離れ」が経済力を奪う (日経プレミアシリーズ)

「理工系離れ」が経済力を奪う (日経プレミアシリーズ)