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心の中に「おもり」のある人

言葉 備忘録

社会学者として民衆に関心を寄せ、いつもその時々の社会問題と四つに組んでいた清水氏(清水幾太郎)をわが国の典型的知識人とするならば、彼と対照的な人物として私がいつも思い浮かべるのは故吉田健一氏および福田恒存氏である。この二人は共に芸術の世界に深く没入して民衆から距離を置き、時代の動きや社会問題に対しどこか超然としているところがあった。つまり重い錨をつけたように立場は固定し、時代の動きにもかかわらず政治的、思想的立場はほとんど変わっていないのである。
――袴田茂樹『文化のリアリティ』(筑摩書房、1995年、p.60)

袴田氏の表現「重い錨(いかり)」を、私なりの言葉で言い直すと、<心の中に「おもり」のある人>ということになる。世の中には、心の中に「おもり」のある人とない人がいる、と思う。

心の中に「おもり」のある人は、たとえば、「美」というものを、絶対的なものだととらえている。「おもり」のない人は、「美」は(万事は)相対的なものだと思っている。

「おもり」のある人の典型としては、袴田氏が挙げている福田恒存吉田健一のほかに、林達夫が思い浮かぶ。

「おもり」のある人は、ものごとの「変わらない部分」に着目し、「おもり」のない人は、ものごとの「変わる部分」に着目する。

「おもり」のある/なしは、人間の性癖の違いであって、どちらが良い/悪い、ということではない。
ただし、袴田氏が同書で書いているとおり、「おもり」が必要となるときがある。

内面的価値の世界は現実逃避の世界となるし、芥川(龍之介)も言うように、その世界に没入するならばときにそれは人間を去勢する。しかし時代の波が個人のすべてをからめとろうとするとき、現実から独立して現実以上に現実的な虚構の世界を心の中にもっているなら、しばしばそれが抵抗あるいは非順応の砦となることもたしかである。
(同書、p.79)