読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

進化し続ける人

人が人を理解することは難しい。「この人はこういう人」と思っていたら、あるとき、それが思い込みにすぎなかったことがわかる、なんてことはよくある。でも、人を理解するとっかかりとして、その人の個性をいくつかのキーワードで表してみるというのも、一つの有効な方法ではないかと思う。
そのような、いささか乱暴なやり方で梅田望夫さんを俎上にのせてみると、

人体実験、炭坑のカナリア、過剰さ、戦略性、美意識、啓蒙、未来志向、進化し続ける人

といったキーワードが浮かぶ。
新著『シリコンバレーから将棋を観る』(中央公論新社)は、そんな梅田さんの個性が、全面開花している作品であるように思う。


1 人体実験、炭坑のカナリア
本書の第二章、第五章に収録されている、棋聖戦第一局(2008年6月)および竜王戦第一局(10月)の「リアルタイム・ウェブ観戦記」を、私自身がそれぞれ、ウェブでほぼリアルタイムで鑑賞していたとき、その「人体実験」(『フューチャリスト宣言』p.146)に、震撼せずにはいられなかった。リアルタイムだから、チェックもままならないという時間的制約、「控え室」「対局室」からほとんど動けないという空間的制約。そのなかで、「無限の広がり」(本書p.76、以下、ページ数だけのものは本書『シリコンバレーから将棋を観る』)をもつという将棋を解説する。そのような極限状況で、一つでも間違えば、ただでさえうるさ方が多い将棋ファンたちから嘲笑されるというリスクを負う。
あえて誰もやっていないことに挑戦し未踏の地に踏み込む、「炭坑のカナリア」を自称する梅田さん(『私塾のすすめ』p.106)でも、それはいくらなんでもハイリスクすぎないだろうか。そんなふうにハラハラしながら鑑賞したが、杞憂にすぎなかった。リアルタイム観戦記ならではの臨場感、随所に工夫をこらしたわかりやすい解説、対局者の棋士の方たちの人物像や過去の対局の歴史。その縦横無尽の観戦記は、素人の私でも存分に楽しめるわかりやすいものであり、凛とした美しい文章で綴られていた。そして、素人でも楽しめるものであっただけでなく、その解説の質の高さは、対局している棋士の方たちをも唸らせるものだったことが本書からわかる(たとえば、p.206)。


2 過剰さ、戦略性
先に、「杞憂にすぎなかった」と書いたのは、二つの意味がある。できあがった観戦記の面白さ・質の高さ、という結果からふりかえって杞憂だった、ということのみならず、時間・空間の物理的制約も、杞憂にすぎなかったのである。本書の第三章には、一局の観戦のためにいかに周到な準備をされたか、という舞台裏が綴られている。ウェブ上のプライベート空間に、棋聖戦については1ヶ月の時間をかけ、参照する可能性のある、ありとあらゆる素材を筆写されていたのである。たしかに、ネットの「あちら側」の”私設将棋図書館”にパソコンからアクセスすることさえできれば、物理的制約をかなりの程度、超えることができる。
この、ありとあらゆる素材を筆写されるというところに、『ウェブ進化論』以後の著書のウェブ上の感想を2万以上は読まれている梅田さんならではの「過剰さ」を見ることができる。そして、その周到さに、「けものみち」をゆく人(『ウェブ時代をゆく』第三章)である梅田さんならではの「戦略性」を読み取ることができるのだ。(邪道な読み方かもしれないが、知的生産のケーススタディとしても本書は読むことができる。)


3 美意識
本書に鏤められている、羽生善治さんをはじめとする棋士の方々(佐藤康光さん、深浦康市さん、渡辺明さん)の言葉は、宝石のような輝きをもっている。そうした言葉の選び方、棋士の方々の人物像の描き方、二つの観戦記。そして、それら個々の部分のみならず、本書の全体を通読すると見えてくる、「将棋とは何か」を描いた大きな絵に、梅田さんの美学、美意識が全面的に現れている。これまでの著作ではかなり隠し気味にしていたように思われる美意識を、本書では隠すことなく存分に展開している感じがするのである。
ちなみに、これまでの著作でも、たとえば「この失敗から数多くのことを学んだが、負けは負けであったと潔く総括すべきであろう」(『シリコンバレー精神』p.310)といった部分に、生き方の美学が感じられ、そうした「潔くすがすがしい生き方」は、まさに本書に登場する棋士の方々の生き方に通じるように思われる。


4 啓蒙
本書の第三章に、故・金子金五郎九段が登場する。梅田さんのブログや『私塾のすすめ』などにこれまでに何度も顔を出しているから、「名解説者」としてロールモデルにされているのだろう、と思っていたが、それが浅薄な理解であったことが本書を読んでわかった。『ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』『私塾のすすめ』などから明らかなように、啓蒙家の資質を強くもつ梅田さんは、何より、金子金五郎の「啓蒙精神」に共感していることが伺われる。

しかし金子には、難解なプロの将棋をアマチュアに何とか伝えたいという熱意があった。そしてそのための努力を惜しまなかった。「強くなればわかるから、早く強くなりなさい」というような突き放し方をしなかった。ここに金子の真の啓蒙精神があらわれていた。
(p.111)


5 未来志向
本書で、梅田さんは羽生善治さんをビジョナリーととらえ、将棋の世界を、これから社会一般で起こりうることを先に経験している「未来の萌芽」を含んだ場所ととらえ、渡辺明竜王を「世界中からアメリカに集まってくる、科学や数学を専門とするトップクラスの学生たちに、ものすごく似ている」(p.220)と、グローバルな視点からとらえている。「『羽生対渡辺の大勝負をこれからたくさん見ることができそうな幸福な未来』を、私は確信した」(p.227)と綴られる本書は、『ウェブ時代 5つの定理』『シリコンバレー精神』『フューチャリスト精神』などと書棚に並べても、全然違和感のない本だと言える。


6 進化し続ける人
ウェブ進化論』以後の3年間の、怒濤のような書籍刊行のあと、「執筆サバティカル宣言」をされた梅田さん。「『これをやめないとこの時間はつくれない』となったとき、・・・そのつどパーンと何かをやめる」と『私塾のすすめ』(p.181)で述べていたが、このサバティカル期間に、将棋へと大きく方向転換されて本書が誕生したことを、心から祝福したい。本書は、これまでの作品にも見られた「個性」を全面開花させつつ、「進化し続ける人」である梅田さんが新たなステージに入ったことをも高らかに告げる、祝祭感あふれる作品なのである。

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代