林達夫の問い―共有と私有をめぐって

いま、文芸の場合を除外して、問題を単に学問の領域だけに限ろう。
普通、一個の学説に対して、その創始者は極めて相矛盾した二つの要求を示しているのが常である。すなわち彼は、一方では、その所属する社会、その奉仕せんとする社会にできるだけ多くの忠実なる追随者、共鳴者を見出さんと待ち設けているが、また他方では、自分の学説をあくまでも自分のものとして固守しようとする。言葉を換えていうなら、彼は自分の学説を社会の共有財産たらしめようと欲しながら、同時にまたそれを一個人の私有財産でもあらしめようと努めている。――この矛盾はいかに説明されるべきであろうか。
(中略)
では人は何とかしてこの学問的共有と私有の深い矛盾を取り除くことができるであろうか。我々にとって明らかな一事は、かかる矛盾の克服は現在のままでは資本主義体制の埒内では決してできないということである。
――林達夫「いわゆる剽窃」(初出、『東京朝日新聞』1933年、平凡社ライブラリー『林達夫セレクション 1』所収、p.221〜224)

林達夫の上記コラムは、特許など含めた知的財産権全般に言及している極めて視野の広いものだが、著作権にしぼって考えてみると、林達夫のいう「かかる矛盾の克服」は、今、テクノロジーによって実現されようとしている。「学問分野」(とくにサイエンスの分野)の「論文」については、ウェブ上のオープン化・無料化が著しい。
一方、「書籍」、とりわけ「文芸」分野については、作家の経済生活や出版社の経営にかかわるものだけに、本来、調整がきわめて難しい。しかし、Googleから出版社・著作者への、著作権保護期間内の書籍の全文検索の了解を求める要求は、もはや待ったなしの状況である(参照:全世界を巻き込む、Googleクラスアクション和解案の衝撃)。
実際、作家の清水義範氏が、4月20日付日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」に、各出版社から清水氏のもとに、グーグルの和解案に応じるかどうかを返答してほしい、という「お知らせ」が一斉に届いた旨を記している。清水氏自身は同コラムで、

どうしたものか迷ってしまう事態である。個人的には、グーグル社のやり方の強引さに反感を覚える。だが、個人的に反抗するというのは負担が大きすぎで面倒だ。実害はそう大きくないようだし、黙殺するしかないか、と思う。

と述べている。そして、ネット・ビジネスの拡大により「プリント・アウトして読まれるのは時代の趨勢」「そういう時代に適合した新しい著作権保護のシステムを開発すべき」「旧来の出版ビジネスのやり方を根本から見直す時なのだ。それは簡単にはできない大変なことなのだが。」と、非常に説得力がある主張をされている。
今、この分野の専門家の方々が叡智をつくして、「和解」「調整」に向けてたゆまぬ努力をされていることと思う。その努力に敬意を表しつつ、「絶版になってしまった本が読める」「どこにいても日本の知的財産にアクセスできる」など、読者、利用者の視点を見失わずに、よりよい方向への解決をはかっていただきたいと、一読者、一利用者として切に思う。