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定義すること

評論文において、言葉の定義というのは重要である。存外これをないがしろにしている評論文も多く、「研究」ではなく「評論」なのだからいいだろう、といった通念があるが、私はこれこそ、「八割」(注)の中に含めるべき、評論といえども守るべき線だと考えている。酒井順子の『負け犬の遠吠え』(講談社)は、みごとに「負け犬」を定義してから書き出されているが、これは酒井の頭脳が明晰であることを如実に示している。

――小谷野敦『評論家入門』(平凡社新書、p.61〜62)(注:「評論の基本的な姿『学問八割、はみ出し二割』」、同書p.37)

「評論」「研究」でなくても、まず最初に言葉を定義するということは、忘れがちだけれど、かなり重要であるように思う。文章においても、会議などにおいても。同じ言葉を使っているからと言って、共通の認識があるとは限らない。