肚の嚮導性

「太っぱら」「肚ができている」とか、「肚をすえる」とか「肚が見えすいている」とか「肚をわって話す」とか、さもなくば「肚黒い」というように、肚は心の広さにかかわるとともに、方向性ももっているらしい。「太っぱら」で「肚ができている」というのは、方向性をもちながら異質のものをもあえて受け入れる用意――抱擁力というか、人間的魅力というか、人びとをやわらかにまきこんでいくことができるなにかで、そこには嚮導(きょうどう)性とでもいうべきものが感じられる。方向性があって気と密接にかかわっており、人びとのやる気をゆったりと受けとめて大きく包み込んでいく。抗しがたいけれども人をおびえさせるようなものではなく、安んじて身をまかせることができる。そのことによって、人々の生命活動を触発し、全く異質なものを、あい矛盾するものも包摂しながら、全体として方向性を与えていく、それが肚の嚮導性であろう。
――神島二郎『日本人の発想』(講談社現代文庫、1975年、p.213)

この神島二郎(1918―1998)の表現は、「リーダーシップ」の本質をよく表しているように思われる(「嚮導」とは、「その一行の先導となること、またその人」〔新明解国語辞典〕)。
このような「肚」「肚の嚮導性」をもった人物として、オバマ大統領がすぐに思い浮かぶが、現代日本の政治家でこのような人がいるのだろうか。経済界はどうだろうか。
ちなみに、神島二郎は、この引用部分の少しあとで、「維新革命にあたって大きく舞台回しをした西郷南洲勝海舟は、こういう肚をもっていた」と述べている。