Content Inc.はアントレプレナーのためのコンテンツ・マーケティングの教科書

Joe Pulizzi(米国のContent Marketing Instituteの創始者)の近著「Content Inc. 」は、アントレプレナー、スモールビジネス・オーナーのための、コンテンツ・マーケティングの教科書だ。

Joe Pulizziの前著、「Epic Content Marketing」は、どちらかというと、大企業向けのコンテンツ・マーケティングの教科書だった。その証拠、というわけではないが、序文はSAPのMichael Brennerが寄せている。(大企業が)見込み客に出会うための手法として、コンテンツ・マーケティングの有用性や、組織としての運用体制にページを割いている(コンテンツ・マーケティングって何?という人のために、その歴史等々にもふれられている)。ブランディングといえば、テレビCMや新聞広告が常套手段だった大企業にとって、オウンド・メディア(自社媒体)をプラットフォームにするコンテンツ・マーケティングは発想の大転換を促すものであり、すべての大企業がコンテンツ・マーケティングに舵をきれば、広告産業やコンテンツ産業に大激震が起こることだろう(今のところ、ゆるやかな移行のようだ)。

一方、今回の「Content Inc. 」は、明確に、スタートアップやスモールビジネスに焦点を絞っている。Joe Pulizzi自身が、Content Marketing Instituteを創業しているので、書きやすい面はあっただろう。そして、会社の規模を大きくしていく上でエバンジェリスト・ユーザーが何より大事なスタートアップにとって、コンテンツ・マーケティングは、大企業におけるブランディング以上の意味をもつとも言える。

日本でも、たとえば、ライフネット生命などは、会長の出口治明さん、社長の岩瀬大輔さんが、立ち上げの初期の頃から、ブログなどオウンド・メディアをきわめて有効に使い、また、リアルでの講演会などと組み合わせて、実に巧みにコンテンツ・マーケティングを展開している(「Content Inc. 」のなかでも、そうした、複数の手法の組み合わせの大切さに触れられている)。

ただ一つ、長年、編集の仕事に携わってきた私から、アントレプレナーの方々への忠告がある。コンテンツのうち、書籍(執筆)については、用心が必要だ。なぜなら、書籍執筆は多大な労力を要するから。全速力で駆け抜けなければならないタイミング、時間が何より大事なときに、書籍執筆に150時間とか200時間を超えるような時間をかけることは、命とりとなりかねない。そして、本気で書籍を書いたことのある方ならお分かりの通り、本を1冊書くと、抜け殻のようになってしまうから……。

少し脱線してしまったが、「Content Inc. 」は、スタートアップや中小企業が、エバンジェリスト・ユーザーやロイヤル・カスタマーを築く上で、「コンテンツ」がカギとなることを教えてくれる、最重要テキストと言えるだろう。(それにしても、「Epic Content Marketing」といい、「Content Inc. 」といい、タイトルが秀逸すぎで、ため息が出る。。)

Content Inc.: How Entrepreneurs Use Content to Build Massive Audiences and Create Radically  Successful Businesses

Content Inc.: How Entrepreneurs Use Content to Build Massive Audiences and Create Radically Successful Businesses

新オフィス!

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8月も半ばをすぎ、お盆休みから仕事に戻られた方も多いのではないでしょうか。
当ブログも今月に入ってからすっかりお休みしていましたが、そろそろ復帰です。

個人的な8月の最大のニュースは、当社(アテナ・ブレインズ)オフィスのお引っ越し。
正確に言うと、2008年の創業以来、自宅をベースに、あとはフリースペースのレンタルオフィスを借りながら仕事をしていましたが、この8月に初めて、固定(固有)のスペースのある新横浜のレンタルオフィスを借りることにしました。

固有スペースといっても、1.4坪(約3畳)の極小オフィスですが、初めての"城"になんだかワクワクしています。
冒頭の写真は、固有スペースからの眺めではなく(窓がないので…)、共有スペースからの眺めです(笑)。遠くに日産スタジアムが見えます。

もともと、引っ越しや模様替えは大好きなので、引っ越しすること自体が楽しいのですが、それに淫することなく、新しい場所から、新たな成果を出せるように、気分一新、頑張って行きたいと思います。

第20回国際女性ビジネス会議で印象に残った言葉とは

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今週の日曜日(26日)、第20回国際女性ビジネス会議に参加してきた。以前に参加したのは4年前の2011年、第16回のとき。今回が2回目の参加だ。朝から夜まで(午前10時から夜8時半まで)、実に多くの、いまの日本を代表する方たちのプレゼンテーションやパネルディスカッションを聴いた。ちょっと刺激が強すぎて、ここ2、3日は、”知恵熱"状態だったが、少し落ち着いてきたので、とくに印象に残った言葉を書き留めておきたい。
まずは、国際女性ビジネス会議創設者の佐々木かをりさんの、冒頭あいさつでの言葉。

20年前にこの会議を始めたとき、とある経済団体に何か支援してもらえないかと相談にいったところ、「女性、外資、中小企業、起業家は落ちこぼれなのだから、そんな(人たちが参加者の)会が成功する訳がない。やめたほうがいい」と言われた。それを聞いて、ぜったいに成功させてやると、がぜんやる気になった。

若い人は聞いて驚くかもしれないけれど、少し前の時代までは、そこまで露骨にいわれないまでも、企業社会の”保守本流”の人からは、そういった認識がもたれていた。その認識を変えることができたのは、“落ちこぼれ”ならぬ”浮きこぼれ”当事者たちの力であり、こうした会を20年続けてきた佐々木さんたちの力だ。

つづいては、BTジャパン社長で、経団連初の女性役員になった吉田晴乃さんの言葉をご紹介したい。吉田さんのスピーチはテンポがよく随所にユーモアがちりばめられていて、「経団連の役員を依頼されたとき、新しい風になってほしい、と言われ、???となった。風って何? 風のKPIって…」といったくだりでは、会場は大爆笑。主に、シングルマザーとしての子育ての苦労について話された。その吉田さんの言葉で、私にとって最も印象的だったのは次の言葉だ。

時が解決することもある。

「母の日なんてだいきらい」と言っていたお嬢さんが、今は吉田さんをメンターとして頼りにしたり、逆に吉田さんのほうがお嬢さんに励まされたりしているという。

100人のうち99人に反対されたけれど、ぜったいにあきらめなかった。

ランチタイムでのスピーチでそう語ったのは、レーシング・ドライバーの井原慶子さんだ。10分くらいのプレゼンテーションでありながら、井原さんのスピーチに、私はもっとも強い印象を受けた。実は全然知らなかったのだが、井原さんは大学時代にレースクイーンをしていたときにモーター・スポーツに出会い、その魅力に打ちのめされたのだという。それで当時、自動車の免許すらもっていなかったのに、「レーサーになる!」と決意し、文字どおりゼロからの出発で、2014年には女性初で世界最高峰のWECレースの表彰台にのぼるなど、世界のトップグループの一員となった。一つ間違えば、死と隣り合わせの過酷な世界で、想像を絶するトレーニングと瞬時の判断力、チームを動かす人間力で結果を出し続けてきた井原さんの言葉を聞いているうちに、ビジネスの世界でやれることのうち、まだ私は1%も追求していないのではないか、というような気持ちになった。

国際女性ビジネス会議には、男性も1割程度参加している。プレゼンターの何割かも男性である。男性経営者の方々によるセッションでは、三菱ケミカルホールディングス会長の小林善光氏の言葉が印象的だった。

グローバル化・IT化・ソーシャル化の現代は、女性が強烈に必要とされる時代。かつては、情報は権力の象徴だった。それが(男性による)情報独占からソーシャルの時代になって、女性の方が適合するようになった。トン、キログラムの世界から重さのないサイバーの世界になり、AIの時代になっていくと、女性の方が力を発揮するのではないか。

実際、AIの専門家・数理論理学の第一人者である、新井紀子氏(国立情報学研究所教授)も、「人工知能の今」というセッションの中で、次のように述べていた。

2000年代の後半になって、知識的労働が機械(コンピュータ)に代替される可能性が強くなってきてから、急に男性たちが焦りだしてきた。半沢直樹的な仕事(銀行の仕事)がAIに代替されるというオックスフォードのレポートもある。ただ、ペッパー君が女性とおなじようにおしゃべりできるようになるとは思えない。女性には、機械を超えるビジネスが創造できるのではないか。

国際女性ビジネス会議では、午前中が参加者全体を対象にしたセッションであり、午後は分科会という構成である。いくつかの分科会に参加したが、とくに興味深かったのは、「Who Gets Promoted, Who Doesn't, and Why?」という、石倉洋子さんがモデレータのパネルディスカッションだ。英語でのセッションで、十分に聞き取れなかった部分もあったが、印象的だったのは、パネリストの1人、ランドバーグ史枝氏(グーグル株式会社APACパートナーオペレーションズ事業部長)が、女性へのアドバイスとして語った次の言葉だ。

上手に書き(writing well)、上手に話す(speaking well)ことが重要。正確に書くことは信頼性につながり、上手なプレゼンテーションはアピールになる。上手に書き、上手に話すこと、そしてハードワークと、ネゴシエーションが大切だ。

ハードワーク、ネゴシエーション、というのは想像がつくけれど、writing well、speaking wellというのは意外であり、また私の仕事につながることでもあったので、強い印象をもった。

最後にご紹介するのは、17:50からのネットワーキングパーティでの、林文子・横浜市長の乾杯挨拶中のフレーズ。

みなさん、トップになると楽ですよ。

前職の東京日産自動車販売でも社長をされていた林さんだが、それでも、日産のトップ、ゴーンさんにレポートする立場だったのだろう。ナンバー2とナンバー1は全然違う、ということをおっしゃりたかったのだと思う。誰にはばかることなく、自分が最終決定権者として決められるのだから。

まだまだとりあげたい言葉はたくさんあるが、きりがないので、また何かの機会にご紹介できればと思う。

(追記、11月27日)
国際女性ビジネス会議のサイトに、各セッションの抄録が掲載されています。ご参考まで。www.women.co.jp

Great!! 日経のFT買収

昨夜11時半すぎに、たまたま日経電子版をみたら、「日経によるFT(フィナンシャル・タイムズ)買収に、FT親会社の英ピアソンが合意」という超ビッグニュースが飛び込んできた。
記事を読んで驚くとともに、心からおめでとうございます、と言いたい気持ちになり、自分自身も背筋が伸びる思いがした。

日経は、私が新卒から8年半お世話になった会社だ(所属は出版局編集部)。入社した1990年にはちょうど300万部を達成し、成長している会社の良さを存分に享受することができた(チャレンジ精神、自由闊達さ、人間関係のおおらかさ、など)。その後、編集の道を究めたいと思って老舗出版社(筑摩書房)に転職したり、編集のスキルを企業の情報発信に応用したいと思って独立起業したりと、私自身のキャリアは変化したが、社会人としての基礎、経済を見る目、編集の基本を教えてもらったのは、日経だと思っている。

実のところ、就職する前まで日経は定期購読していなかったのだが、日経に入社後はもちろん自社の新聞を毎日読むようになり、今日に至るまで、25年間毎日読み続けている。1年くらい前に、若い人から、BtoBの分野に強くなるにはどうしたらいいか、と聞かれ、毎日日経に目を通せば、自然と企業社会で日々起きていることやその連関がみえてくるようになるよ、と答えた。それは私自身の実感だ。

日経が今回、FT買収という決断をしたことは、電子化、グローバル化の流れの中で、必然的なものだったのだろう。グローバル・ブランディング戦略という意味でも、日本の競合他社に対して競争の土俵を変えてしまったという意味でも、インパクトは計り知れない。現状に甘んじることなく、大きな決断をした日経に、心から敬意を評したい。

はじめてのソウル――柳宗悦からの旅

7月18日から20日にかけて、家族でソウルを旅した。

はじまりは、柳宗悦だった。学生時代の恩師(故人)が授業の中で紹介してくださった柳宗悦の『民藝四十年』。その中の「失われんとする一朝鮮建築のために」という随想を読んで以来、そこで描かれている光化門を一度見てみたい、と思っていた。以来、四半世紀もたってしまったが、今回、初めてソウルを訪れ、念願かなって光化門の前に立つことができた。柳らの尽力もあって、光化門は取り壊しをまぬがれ、何度か再建されて現在の姿となっている。
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(現在の光化門)

光化門の背後の景福宮内には、柳らが収集したコレクション(「朝鮮民族美術館」)がはじまりとなっているとされる「国立民俗博物館」がある。人々の生活の歴史を、暮らしの道具によってとどめ、再現する展示は、現在、演出・デザイン的にもたいへんすぐれた意欲的なものになっている。

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(現在の国立民俗博物館)

そんな、柳宗悦から始まった旅だったが、「現在」のソウルは活気にあふれ、若いエネルギーがみなぎった都市のように思えた。娘の希望で訪れたソウル市立美術館は現代アートの殿堂。同美術館のコレクションの変遷を示した部屋には、「韓国におけるサブカルチャーは、1990年の弘大(弘益大学校、ここでは地名を指す)から始まった」などの歴史が記されていた。

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(ソウル市立美術館)

現在、韓国の文化はK-Popなどの音楽も含め、多彩で自由な表現を獲得している。現地に行ってみて、とくにデザインの洗練具合には驚かされることが多かった。一例を挙げれば、書店で見た新刊書籍などもすっきりとしてすぐれたデザインが多いように感じた。

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(教保文庫、ガイドブックによれば、2700坪の売り場面積という)

最終日に訪れた、三清洞、北村地区では、伝統的家屋と、新しくできた建て物がうまく調和していて、ギャラリーや工房も多く見られた。
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(三清洞)

「漢江の奇跡」と言われた経済発展、1980年代後半の民主化、そして1990年代後半のインターネット革命(韓国の大学やメディアでは日本のそれらより早くインターネット利用が浸透したとされる)などを経て、韓国(ソウル)は大きく変わったのだろう。柳宗悦がみたのとはまたちがった魅力を醸し出しているように思えた。地下鉄に乗れば、老若男女ほとんど皆、スマホを手にしている(東京よりはるかに高い比率のように思う)。景気が悪いと聞いていたが、都市を行き交う人々の表情はけっして暗くない。うまく表現できないが、あえて言葉にすると、「未来に向けてのどん欲さ」といったもの。そんなことを感じながら短い旅を終えて帰路についた。

◯◯「乗り換え」もハブ&スポーク方式に…

この乗り換えは、飛行機や電車のことではない。通信などの契約のことだ。
先日、一念発起して、以下のような乗り換え(スイッチング)を行った。

携帯電話【通信会社X社】
スマートフォンA【通信会社Y社】
光電話C(インターネット、CS放送〔チャンネル契約付き〕・BS・地デジ、電話〔2回線=ダブル・チャネル〕)【通信会社Z社+プロバイダーV社+CS放送W社】

スマートフォンB【Y社】(X社からの乗り換え)
携帯電話停止、スマートフォンA停止
光電話D(インターネット、BS・地デジ、電話〔2回線=ダブル・チャネル〕)【Y社】

結果的に、5社から1社(モバイル+光)へと、とてもすっきりした形になり、一時的な費用を除くと、通信関係費も大幅に安くなるのだが(CS解約分も含む)、この乗り換えのためのX、Y、Z、V、W社とのやりとりにけっこうな時間を費やすこととなった。最低でも1往復、とある会社とは3往復か4往復……。正直なところ、あまりに埒が明かないので、スイッチングをあきらめようか、と思った瞬間もあった。

すべてを終えて思ったのは、こうした、複数社が関係するスイッチングでは、間にはいってくれるニュートラルな会社があるといいのに、ということ。航空路線のハブ&スポークの、ハブのイメージだ。5社とのやりとり(ほとんど電話)にかかった時間を考えれば、多少の費用が発生してでも、そうしたニュートラルな会社があれば、そこに頼んだほうが時間コストの面からも、精神衛生上からもいい。

今後、2016年には電力の小売り自由化、2017年にはガスの自由化が始まる。ICT業界など異業種からの参入が始まるので、おそらく、今回私が経験したどころではない、複雑な「乗り換え」が行われると予想される。そのときに「ハブ」となってくれる、ニュートラルな会社があったら……。
新しいビジネスの芽は、意外とそういうところにあるのかもしれない。

「あらゆる音楽は、作曲されたときは常に『現代音楽』である」——藤倉大さんが紡ぐ未来

昨夜(6月26日)の興奮は一夜明けてもまだ冷めていない。今回、私自身は3回目の参加となった、石倉洋子さん主催の「ダボスの経験を東京で」第27回 は、世界的な作曲家・藤倉大さんをゲストに迎えての会だった。

事前に、藤倉さんのインタビュー記事を読んだり、CD(Secret Forest)を聞いたり、と少し“予習”をしていた。けれども、生で藤倉さんの曲のクラリネット・ソロ(吉田誠さん)、チェロ・ソロ(細井唯さん)を聴き、その解説、背景を藤倉さんの口から聞いて、私の抱いていた「音楽についての思い込み・前提」が崩れ落ちるような気がしたのだ。一つは、「12音階」「この楽器はこう弾くもの」という思い込み、もう一つは、「今つくられる音楽は今の聴者のためのもの」という思い込みである。

先に、報告を兼ねて昨夜の会の流れをかいつまんで紹介しておく。まず、藤倉さんのトーク(ピアノの練習が嫌いで8歳で作曲を始め、15歳でのロンドン留学、以後、近作のオペラ「ソラリス」のヨーロッパ・アメリカでの公演など最近の活動まで)のあと、吉田さん、細井さんそれぞれの演奏と、藤倉さんの解説。続いて、参加者がグループに分かれてのアイデアストーム・セッションとなった。ディスカッションのテーマは、「あまりなじみがない現代音楽を多くの人に知ってもらうためには何ができるか?」というものだった。ディスカッション自体、たいへん興味深かったが、今日はそのことには触れない。

吉田さんのクラリネットは、通常出すべき音と同時に、本来はならしてはいけないはずの高音の倍音もならしながらの二重音声での演奏、というものだった。それを完全にコントロールした状態で……。(高校時代に吹奏楽部でクラリネットを吹いていた頃、予期せぬときにこの倍音が出てしまってヒヤっとしてしまったことがある。)

細井さんのチェロは、弦をたたく、というあまり見た(聞いた)ことのない奏法などを駆使してのものだった。こちらは、YouTubeに、ちょうど細井唯さんの演奏があるので視聴していただきたい。


現代音楽(クラシック音楽の世界での現代音楽)に詳しい方なら、何をいまさら、と思われるかもしれないが、私自身は「12音階」のクラシックの世界に慣れ切ってしまっていて、チューニングが合っていないなどの状態に居心地の悪さを感じてしまう。しかし、藤倉さんの音楽は、12音階や、この楽器はこうひくものだよね、という前提をことごとく覆してしまう。しかも、それを偶然性にゆだねるのでなく、必然として(計算し尽くして)行っているのだと、インタビュー記事に書かれていた(朝日新聞Globe Dai Fujikura「心地よい不協和音求めて完全に計算された世界を作りたい」)。

もう一つの、今つくられる音楽が誰のものか、という点について。藤倉さんは、お話のなかで、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が、パリのシャンゼリゼ劇場で1913年に初演されたときに、悪評ふんぷんだった、見たこともない音楽を誰も理解できなかった、ということを話された(藤倉さんの「ソラリス」の初演が、シャンゼリゼ劇場でされた、というのはおそらくこのことを踏まえているのだろう)。

そして、ウィスキーを例にとって、今つくられるウィスキーは未来の人が楽しむもの、音楽もそういう可能性を持つものというお話をされた。同様の趣旨のことを、上記とは別のインタビューで述べている(Fifteen Questions Interview with Dai Fujikura )。

Oh boy … well, I always imagine, that we are the creators who first create the 'whisky'. Then commercial musicians (pop musicians) are the ones who bottle this 'whisky', years and years later and then sell them to the public. Maybe by that time the original creators of the whisky might not be alive, but it is a romantic thought that someone in the future might open the bottle and enjoy the whisky.

会のあとの懇親会のときに、藤倉さんは参加者の1人の方からの、クラシック音楽と現代音楽はどこで線引きがされるのですか、といった質問に答えて、「あらゆる音楽は、作曲されたときは常に『現代音楽』です」と語っておられた。たしかに、言われてみれば、作曲されたその時には現代音楽であり、その曲が忘れ去られずに10年、何十年、百年と残っていったときに、未来の読者が「古典」と判断するのだ。

聞いたことのないもの、見たことのないものについて、私たちは「居心地の悪さ」や、時には拒否反応を感じる。イノベーション一般と同様、音楽のような芸術であっても、常識をくつがえす破壊的なものであればあるほど、最初は受け入れられない。けれども、藤倉さんのような最前衛の芸術家は、現代におもねることなく、時に「受け入れられない」リスクを冒しても、遠い未来を見据えているのだろう。

昨夜見聞きしたことは、まだよく理解できていないけれど、「音楽とはこういうもの」という前提が打ち砕かれた落ち着かない感覚とともに、“未来”をかいま見た(ような気がした)この感覚を、ずっと覚えていたいと思う。

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石倉洋子さんはなぜいつも元気でアクティブなのか?

まもなく、石倉洋子さんの新著『世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ』(日経BP社)が刊行される(現在予約受付中で、アマゾンでは7月9日発売)。いろいろなご縁があって、この本は私が編集を担当させていただいた。版元である日経BP社で担当してくださっているのは、最近では『Hard Things』、それ以前には『フェイスブック 若き天才の野望』『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』など、数々のベストセラーを手がけてこられた中川ヒロミさんだ。
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石倉洋子さんとはじめてお会いしたのは2009年4月(会うと元気がもらえる人 - The Power of Words: Kyoko Fukuda's Blog)。今回、この本を編集することによって、なぜ石倉さんがいつも元気でアクティブなのか、その秘密がわかった気がした。詳細は、本が発売されたらぜひ実際に読んで確認していただきたいが、ご本人の了解のもと、いくつかポイントをご紹介させていただく。

石倉さんのこの新著のキーワードは、「気軽に」「試してみる」「実践する」「続ける」。つまり、「行動のすすめ」である。reactive(受け身)ではなく、つねにproactive(自ら率先して行動する)。

たとえば、パネルディスカッションなどで最初に質問する、わからないことは小さなことでも何でも聞いてしまう。また、何かをやる前に、ああでもない、こうでもないと悩んでないで、まずは気軽に試してみて、それでダメならまた違うやり方を試してみる。人に質問することによってアイデアは磨かれ、トライアルをくりかえすことで、たとえばプレゼンテーション、モデレーターのやり方などもどんどん洗練されていく。

それを日々実践するのが石倉さんのやり方だ。これは、簡単なように見えて、実は取り組むのがとても難しい。それは、私も含め、多くの人は「なまけもの」であるのと、もうひとつは、「自意識」が邪魔してしまうからだ。失敗したら恥ずかしい、こんなバカな質問をしたらどう思われるだろうか、等々。それについて、石倉さんは、「考えすぎないですぐ行動する」「変化を認める」などのアドバイスをしてくださっている(9節「完璧は目指さない」)。

そして、文字どおりのフィジカルな「元気」の秘訣としては、十代の頃からほとんど毎日何らかの運動をしてきて、それが、ご自身が世界で行動する際のなによりの源となっているそうだ(10節「一に体力、二に体力!」)。

一方、メンタル面での「元気」を維持できているのは、「失敗した時」「挫折した時」の対処法も、メソッド化されているから、と本書の原稿を読んでいて納得した。つまり、「まずはマイナスのエネルギーを追い出す」、その次に、「理由を分析、時には書き出してみる」(27節「思い通りいかず挫折したら?」)。なるほど、このようなやり方を実践すれば、何か失敗しても憂鬱な気分をいつまでもひきずることなく、長期的には「元気」でいられる(はず)。

元気でアクティブな人のまわりには、同じように元気でアクティブで、知恵と経験が豊富な人が集まってくる(石倉さんのまわりを見ているとそう思う)。そうすると、アイデアを磨いたり、気軽に質問することがますます効率的で効果的になる。それにより、生産性はどんどん上がる、という好循環になる。石倉さんの恐るべき生産性の源は「元気」にあるのだ!

本書の28項目の一つひとつは、それほど複雑ではない「小さな心がけ」だ。あとはそれをいかに実践していけるか?
この本を編集している最中から、私もさっそくいくつか試している(3節「どこに座るかであなたの価値が決まる」など)。いつの日か世界で活躍できることを夢みつつ……。

本書について書きたいことはまだまだあるけれども、ネタバレになってしまうとよくないので、このくらいにしておこうと思う。発売になったら是非手に取っていただきたい。

世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ

世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ

音読の効用

このところ、いくつかの経験から、「音読」がマイブームになっている。

1)英語の音読会への参加
友人にさそってもらって、企業のPrinciplesを英語で音読する、という集まりに参加させてもらった。音読だと、たしかに一語一語をないがしろにできないので、理解が深まるとともに、「体にはいってくる」ことを実感した。

2)英語の勉強への音読のとりいれ
ここ4、5年、断続的に英語のトレーニングをしてきたけれど、まったくものになっていなくて、とうとう、「もうこれがダメならあきらめよう」と、肚をくくって、「毎日」トレーニングを始めた(5月末から)。そのメニューの1つに音読を取り入れている。まだこれについては、始めて日が浅いので効果のほどはよくわからないが、少なくとも、多少、口はまわるようになってきた。

3)日本語でも「音読」
私の仕事のひとつに、日本語の文章の編集があるが、脱字などを見つけるのに、音読はとても効果的だ。漢字の誤字などは、黙読でも見つけられることが多いが、ひらがなやカタカナの脱字は、目で読むだけだと、見落としてしまうことがある。最近も、最終段階の記事のチェックに「音読」をもちいて、その効果を実感した。

このように、音読の効果をさまざまな局面で実感していたところ、今日、日経新聞の「私の履歴書」(松本紘・理化学研究所理事長)を読んでいたら、「教科書の声出し丸暗記」が試験対策だった、と書かれていた。音読の学習効果については、茂木健一郎さんも書かれていたのを読んだことがある(目で読むだけでなく、声に出して読んでそれを聞く、手で書くなどが重要、ということだったと思う)。

ふりかえってみると、私の数少ない特技は百人一首なのだが、これなども、覚えたのは小学校に上がるか上がらないかのころ。まさに、父が読む百人一首を耳で聞いて、目で文字を見て、ということで自然に記憶にしまい込まれた(脳の柔らかい時期だった、ということもあるのだろうが)。

◯◯の手習い、ではないが、またその頃を思い出して、「音読」(とくに英語)に精を出してみようと思う。

500円!5%?それなら私にもできるかも。―「第26回 ダボスの経験を東京で」

5月22日、石倉洋子さんが主催している「第26回 ダボスの経験を東京で」イベントに参加しました。このイベントに参加するのは2回目。すべて「英語」(ただし、懇親会をのぞく)なので、初回は緊張しましたが、今回は2回目ということもあり、少しリラックスして楽しむことができました(石倉さんご自身のブログに、さっそく速報)が上がっています。

イベントの冒頭でまず、石倉さんから、4月後半から5月にかけてのご自身の活動の報告がありました。世界経済フォーラム東アジア会議(ジャカルタ)について。続いて、5月初めのニューヨークでの、Women Corporate Directors(WCD)の世界大会、さらには、ニューヨークから直接向かったバリ島での会合の様子についても報告がありました。 

そのあと、ゲストである松崎勉さん(ハーマン・ミラー日本の社長であり、プロボノとして石巻工房http://ishinomaki-lab.org/の立ち上げに尽力)と、ココナラ(http://coconala.com/)の代表、南章行さんのプレゼンテーションがありました。
松崎さんがまず教えてくださったのは、東日本大震災後、「同情」をモチベーションとしたボランティアは、震災直後から右肩下がりに減り続けているが、コミュニティの再生を目的としたプロボノは逆に増え続けている、ということ。そうした現状の説明のあと、松崎さん自身が、事業戦略の専門家として、石巻工房の立ち上げ、事業としての運営に参画されてきたようすが具体的に語られました。工房の家具のデザインやマーケティングには、ハーマン・ミラー社のデザイナーその他、それぞれ専門家がまさに「プロボノ」として参加しているとのことで、石巻工房のシンプルで洗練されたデザインの由来がよくわかりました(グッドデザイン賞も受賞)。

ココナラの南章行さんのお話でまずおもしろかったのは、そもそも「二枚目の名刺」というNPOを先に運営されていて、その後、クラウドワーキングのマッチングサイトである、「ココナラ」のビジネスを創業された点です(その逆の順序で開始する場合が多いと思っていたので)。
そして、自分の得意な分野なスキルを“出品”し、お客さんを見つける、という方式のココナラの紹介があったのですが、そこで出費されているスキルの多彩さ(コピーライティング、プレゼンプラン、詩をつくる、占い、etc.)に驚くとともに、エントリーポイントは一律「500円」という点が、出す側にとっても買う側にとっても受け入れられやすいのだろう、と思いました。
 いくつかの事例が紹介されました。たとえば、ココナラに翻訳のスキルを売り出した方(たしか台湾の方)。ココナラでの経験で、どういうマーケットで売れるのか、ということがわかって、その後、本格的にビジネス展開し、日本にとどまらず、アジア数カ国に支店を出すまでになったそうです。こうした例を聞いて、「ゼロ→1」の方法、つまり最初のお客さんを見つける上で、ココナラを利用するのは大変有望ではないかと思いました。

お二人のプレゼンのあと、参加者皆が5〜6人のグループにわかれてのエクササイズとなりました。自分のスキルを紙に書き出し、それをもとに、みんなでディスカッションする、というものです。私のいたグループでは、皆さんそれぞれ、ご自身のお仕事とは別に、実にユニークなスキルをお持ちでした。さっそく「このスキル、買います!」とマーケットが成立したり、「こういう形にしたら売れるのでは?」など、さまざまなアイデアの交換ができました。

その後、全体で、それぞれのグループでどんなことが話し合われたかや感想の共有がありました。石倉さんが、自分の慣れ親しんだ狭い世界から出て、違う場所、違うマーケットにいけば、自らのスキルもユニークになる可能性がある、といったまとめを最後にされて、2時間ちょっとの会が終了しました。

前回は懇親会には出ずに失礼したのですが、今回は懇親会にも出て、そこでもさまざまな意見交換ができ、いろいろな方と知り合うことができました(今度は、「日本語」で!)。ゲストの松崎さんからは、「時間のかけかたとしては、現在は本業が95%でプロボノが5%くらいです」と伺うことができました。「あっ、5%なら私にもできるかも」と思ったと同時に「どの専門性でボランティアすると短時間で一番役に立てるのか、という発想転換が必要」と気づかされました。
懇親会まで入れて3時間でしたが、それがあっという間に感じられるような、中味の濃い、得るもの多い会でした。

Follow your contributionーベン・ホロウィッツの卒業式スピーチ

アメリカでは5月の後半が大学の卒業式シーズンのようで、毎年、この時期に著名人の卒業式のスピーチが報道されます(これまでにも、このブログでいくつか紹介したことがあります。ジェフ・ベゾス、ラリー・ペイジ、シェリル・サンドバーグなど)。

今年は、今日本でも『Hard Things』で話題のベン・ホロウィッツ(Ben Horowitz)が、自身も卒業生であるコロンビア大学でスピーチを行ったようで(5月19日)、同大学のサイトに記事が掲載されています(In SEAS Class Day speech, Horowitz encourages students to follow their contribution, not their passions)。

この記事に掲載されているうち、印象的な部分をご紹介します。
記事で、ホロウィッツは「パッションに従う」という月並みな言葉に警鐘をならした、という解説があり、それに続く部分です。

“Most importantly, following your passion is a very me-centered view of the world. When you go through life what you'll find is what you take out of the world over time—be it money, cars, accolades—is much less important than what you put into the world,” Horowitz said. “My recommendation would be follow your contribution. Put in your worth, give to others, help the world be better, and that is the thing to follow.”

「これが大事な点なのですが、自分のパッションに従うということは自分中心の見方で世界を見るということです。あなたがたは、これからの人生で、自分が世界から得られるものーそれがお金であれ車であれ名誉であれーよりも、あなたが世界に付け加えられるもの方がはるかに大事だということに気づくことでしょう。私がおすすめすることは、(パッションに従うというより)「自分が貢献できると思うこと」に従うことです(follow your contribution)。あなたの価値を他の人たちに与え、世界をよりよいものにしてください。それがあなたがたの行うべきことです。」

以上、意訳している部分がありますが、ご参考までに。

「contribution」という言葉には、英英辞典をみると、「an action or a service that helps to cause or increase something(何かを引き起こしたり増大させたりするのを助ける行動やサービス)」という意味があることがわかります。
ベン・ホロウィッツは今、ベンチャー・キャピタリスととして、まさにこの意味の”contribution”を行っています。彼自身の人生の“実感”がこもったこのメッセージは、きっと卒業生にストレートにとどいて、こんどは彼ら自身がその後の人生においてcontributionを行っていってくれることでしょう。

HARD THINGS

HARD THINGS

「リーディング産業」があるのがよいのか?

1990年代の半ば頃、日本の次のリーディング産業は何か、といったテーマの書籍のプロジェクトに関わったことがある。たしか、その書籍では、はっきり●●産業、といった明確な結論にはならず、複数の産業分野を取り上げていた、というおぼろげな記憶がある。
当時、「繊維」「自動車」「エレクトロニクス」につづく、日本の外貨稼ぎ頭、すなわち“リーディング産業”の次は何か、ということがメディアで議論されていた。

その後もときどき、今の、”リーディング産業”は何か、ということを考えるが、ある時期から、”日本の”という冠をかぶせることに、あまり意味がない気がしている。つまり、製造業の現地生産化はとうに進んでいるし、かつてのリーディング産業のように、欧米諸国と比べて相対的に安い日本の製造コスト、ということが成り立たなくなって久しい。したがって、日本のある産業まるごとに国際競争力がある、ということは考えにくい。
加えて、現在の、”世界の”リーディング産業は、IoTとして今また新たな様相を見せ始めているICTが象徴的なように、産業の特質そのものとして、国境を超える性質がある。

リーディング産業があることが、はたしてよいのか? 
私はそうは思わない。リーマンショックのときに、もし日本のリーディング産業が金融だったとしたら……。アイスランドと同様のことになっていただろう。(一時期、それこそ、バブル崩壊前は、金融業はいけいけドンドンであったので、もしバブルが崩壊していなければ、2000年代の日本のリーディング産業が金融業、というシナリオもありえたのではないか。)

個々の企業が、それぞれ「強み」をいかし、自社の資源を傾斜配分していくことは、企業の戦略としておそらく正しい(専門家でないので、「おそらく」としかいえないが)。ただ、日本の経済社会という全体でみたときには、”リーディング産業”がなく、多様なほうが強いのではないか。ある意味、インターネットのようにどこかのルートがダメになっても、全体としては機能しているしくみ。それさえあれば、ひとつの企業、ひとつの産業がダメになっても、ほかの企業やほかの産業にうつることができる。

リーディング産業がなくてよい(ないほうがかえってよい)、という前提に立つと、それこそ、現在の日本は、企業も産業も多様化し、個人の働き方も多様化・多彩化していて、まさに、理想的な状態なのではないか?(個人の働き方は、正社員、契約社員、在宅勤務、ダブルワーク、フリーランス、個人事業主、クラウドワーカーなど。)
そう考えると、悲観論の先の新しい地平が見えてくる。楽観的すぎるだろうか?